結婚に役割は必要?未婚=未熟じゃない、新しい成熟のかたち

「結婚してこそ一人前」
「妻になってこそ安定」
そんな言葉を、あなたも一度は耳にしたことがあるかもしれません。
でも30代・40代になって改めて考えると
結婚の“役割”って本当にそんなに大事なのでしょうか?
結婚してもしなくても、人はそれぞれのペースで成熟していくもの。
それなのに、世間や親からの「結婚=正解」という圧に押されると、まるで自分が遅れているような気がしてしまうこともあります。

実は、私自身もアラサーの頃、親からの結婚プレッシャーに悩んだ一人でした。
「男女平等に学び働け」と言われていたのに、周囲は急に「良き妻・良き母に」と方向転換。
実家暮らしで逃げ場がなく、親としょっちゅう言い争いをしていました。
「結婚せずに生きられないのかな」と思いつめ、本気で出家やシスターの道を検索したこともあるほどです。
その後、耐えきれずに上京し、レストランウェディングの司会業で食いつなぐ日々。
複雑な事情で結ばれた夫婦や、会話がかみ合わない親子と出会った経験は、いまの家族観に大きな影響を与えました。(詳しくは 取次屋の噺 にまとめています)
だからこそ私たち取次屋は、こう思うのです。
誰かの物差しに合わせるより、
“自分の成熟”を大切にしていい。
この記事では、「結婚と役割」というテーマを取り上げ、モヤっとした心を少し軽くする、となりの取次屋流の視点をお届けします。

ふぅん、“結婚して安心”…。
それは誰にとっての安心ですかね?
昔は「役割ありき」だった結婚

かつての結婚は「家」と「家」をつなぐ制度でした。
夫は外で稼ぎ、妻は家庭を守る。そういう“役割分担”が前提だったのです。
でも今は、性別関係なく働き、お互いに家事や育児を担う時代。
それなのに
「結婚したら落ち着く」
「子どもを産んで一人前」
といった価値観は、世代によって今だに根強く残っています。

え?まだ昭和のルールで戦ってるの?
一方的にその価値観を押し付けられたら、たまんないよね
未婚=未熟、ではない
若い頃は「恋愛のゴールは結婚」だと何となく信じていたかもしれません。
好き → 付き合う → 結婚
一本道のレールに乗れば、いずれそうなれる。そうなれたら素敵だと思えていたのです。
でも30代・40代になると気づきます。
「この人は好き。でも結婚する相手かは別」
「パートナーは欲しいけど、一緒に暮らすのはちょっと違うかも」
こうした気づきは、未熟だからではありません。
むしろ、自分や相手を丁寧に見つめられるようになった証拠だと思います。

「未婚=未熟」っていう思い込みこそ、未熟な考えかも!

親は完全じゃない。ただの人間
親からの言葉に振り回されて苦しくなるのは、よくあることです。
母は「心配だから」とつい余計なことを言い、
父は急に「老後が不安だ」と頼ってきたり。
でも、その裏にあるのは正しさではなく、たぶん 弱さや不安 !
親だからといって完璧な存在ではありません。
だから、全部受け止める必要はないし、真っ向から戦う必要もないはずです。
「親も不完全。自分も不完全」
それなら“おたがいさま”でちょうどいい。

親もただの男と女!
判定員でも神さまでもないもんね。
役割から自由になると見える“成熟”

結婚は「役割を演じるため」ではなく、「支え合う関係を築くため」のもの。
だから結婚していても、していなくても、人は成熟していけます。
- 自分の気持ちを大切にできるようになった
- 親の言葉に振り回されすぎなくなった
- 相手との違いを受け入れられるようになった
こうした心の変化こそが、本当の成熟だと思いませんか。
役割や肩書きよりも、自分の内側に積み重ねてきたものが、私たちをを支えてくれます。
イライラを和らげる距離の工夫
とはいえ、親からの「結婚」「孫」プレッシャーはしんどいもの。
そんな時はちょっとした工夫が役立ちます。
- 受け流す:「ふ〜ん、そうだね」「考えてみるかもね〜」と軽く返す。
- 話題をずらす:「そういえばさ…」と別の話にシフト。
- 第三者を介す:直接言うと角が立つ話は、間に入ってもらう。
特に3つ目の「第三者を介す」は、心を軽くしてくれる方法です。
糸電話の「糸」のように、間に誰かが入るだけで、イライラは和らぎ、想いがスムーズに届くかもしれません。

まとめ
👉 結婚はゴールでも役割でもなく、ただの選択肢。
👉 未婚だから未熟、なんてことはない。
👉 親も自分も不完全だからこそ、“おたがいさま”でちょうどいい。
古い価値観にモヤっとしたときは、そのモヤを抱え込まずに外へ出してみてください。
ときには私たちに預けてもらってもいい。

「結婚してこそ一人前」なんて古いモヤとはさようなら〜
残るのは、自由にのびのび生き進む、あなた自身だよ。