取次屋の噺

<前編>リアルこち亀な父の家、戦死者が多い母の家

wakemi

取次屋のわけ美です。
2024年1月、家族がお互いの価値観を受け入れて暖かくつながるための「意図電話」というコミュニケーション代行を始めます。

このWEBサイトに辿り着いて下さった方に、わけ美が始める個人事業について少しでも興味を持ってもらえたらと思い、私の生い立ちから「取次屋」誕生までについて書きました。

<前編><中編><後編>を通して読めば、なるほどね!と手を打って笑っていただけるはずです。最後までお付き合いくださいませ。

世話焼き長女、誕生

下町育ちの四男坊で、自動車部品の工場長をしていた父と
デパート通いが趣味のゆるふわOLだった母の間に、長女として生まれる。

性格は人懐っこく、好奇心旺盛。
音楽を聴くとすぐ歌詞を覚え、初めてマスターした曲は小林幸子の「おもいで酒」

保育園の先生の横でアシスタント役をこなし、他人の世話を焼くのが好きな子だった。

小学校の給食時間になると、先生はのんびり屋な生徒を私の周りに集めた。
全員が食べ切るまで励まし、時には叱り、昼休みが終わるまで付き添うのが日課だった。

リアルこち亀な父の家、戦死者が多い母の家

東京都葛飾区にあった父の生家。
古びたトタン屋根の借家が、町工場の入り組んだ路地の奥に佇んでいた。
商店街の騒がしさを抜けて進むと、下町らしい風景が広がる。

隣家からおばさんが窓ごしに腕を伸ばし、
「お醤油きれちゃったから貸してよォ」と声をかける光景。
まさに、下町の温かな日常の一幕だった。

父は、よく昔話をしてくれた。
ご近所同士が助け合う、高度成長期の下町らしい賑やかなエピソード。
まるでこち亀の両津勘吉の子ども時代に出てくるような、笑いと感動に満ちた物語。
そんな話にいつも心躍らされた。

一方、母方の家は、滋賀県ののどかな農村地帯。私の育った場所だ。
祖父や父が2代続けて婿養子となり、母方の祖父母と共に過ごした。

祖母には兄姉が9人おり、戦争や病気で命を落とした兄たちの記憶が家に漂っていた。 「すぐ上の兄さんは飛行機で特攻に出たんや。こっちの兄さんは外交官でな、ほら胸に勲章がいっぱい付いてるやろ。・・・終戦時に満州で自決しはったさかい、お墓があらへんの」と、戦没兵士の墓や写真を前に悔しさを滲ませていた。

彼らの生死にまつわる物語を通じて
私は戦争の影響や家族の絆を感じながら成長してきた。

昭和的な価値観への反立

祖母は、教師としての経験と公務員家系の価値観から

「小さい会社に勤める男はダメだ」
「女でも良い大学へ行って公務員と結婚せんとあかんよ」

と私に忠告してきた。
自分の両親を否定していると分かり、子ども心にも悲しくて涙が出た。

「古い考えで両親を採点しないで!幸せは他人が決めるものじゃない!」

胸いっぱいの疑念や複雑な思いをうまく言葉にできず、なんとか反抗したかったのだと思う。卒業文集には「結婚しないで仕事をしながら一人でくらす」という将来の夢を書いた。

教科書嫌いの先生が作ってくれた一冊

中学1年生の担任が、おもしろい理科教師だった。
教科書をほとんど使わず、いつも実験道具でおやつを作って食べていた。

ある時、先生は「本当に思っていることをなんでもいいから書いて」と言って
生徒達の声を集めた冊子を作り、「一等星」というタイトルをつけて学校中に配った。

内容は、親や先輩への不満を爆発させた散文、マンガのセリフを抜き出したような詩など、今思うと思春期らしい感情に溢れていた。
私も「大人はわかってくれない」みたいなことを書いてドヤっていた記憶がある。

大人から見れば子どもの愚痴の掃き溜めのようなそれに
先生が「一等星」という名前を付けてくれたことは嬉しかったし、
とても印象深い思い出になっている。

演劇にのめり込みNHK出演、芸大へ

高校時代は、演劇部の活動にのめり込んだ。そこは、心の受け皿の広い顧問の先生のもとに自然と「学校に馴染めていない危うい生徒」が集まる部だった。

美術工芸の特技を持った裏方志望の部員が多く、いい装置や衣装は作れるのに誰も役者をやりたがらず劇にならない…!という偏った天才集団。

他の部員に比べて特技がないことに劣等感を感じていた私が、
「器用貧乏な自分がイヤです…」と顧問に相談すると、先生は
「真似て学んで何でもできるのがあなたの才能よ」 と言って、舞台全体をまとめる演出役や代役をやるよう勧めてくれた。

やってみると驚くほどその役割がはまり、私は世界がひらけたような感覚を初めて味わった。演技がうまい部員なんて1人もいない裏方集団だったのに、いつの間にかNHKが中継する全国大会に出場し、地元メディアからも取材されていた。

この時の先生のアドバイスに、私は大人になってから何度も救われることになる。
挫折を味わった時など、アイデンティティが迷子になると思い出し、助けてもらった。

ちょっと言ってみた言葉が、誰かの人生を照らす光になることもあると知った。

卒業後は芸大の放送学科へ進んだ。
入学早々、自分は芸術やエンタメ分野で食べていける人間じゃないと悟るくらい、芸大は天才と奇人変人の巣窟だった。

何でもアリな雰囲気の中で天真爛漫に過ごすうち、私は自然と
ちょっとの奇行やそっとの常識外れでも否定せず受け入れる価値観を持つようになる。

素晴らしい才能があるのに親から理解されず、半勘当のような苦しい生活をしている学生がいる中で、才能なしの自分が不自由なく芸大生を楽しんでいることには、罪悪感を感じた。卒業後は普通の会社に就職しなければ。楽しい時間は終わり!と自分に言い聞かせていた。

<中編>立てば猛獣使い、座れば変人担当、歩く姿は爆弾処理班 へ続く!

あわせて読みたい
<中編>立てば猛獣使い、座れば変人担当、歩く姿は爆弾処理班
<中編>立てば猛獣使い、座れば変人担当、歩く姿は爆弾処理班
あわせて読みたい
<後編>どん底ワーママからの復活。世代をつなぐ取次屋へ
<後編>どん底ワーママからの復活。世代をつなぐ取次屋へ
便利ツールのおすそ分け
取次屋の飛び道具

シニア親にプレゼントしたい
60代からの困った!を解決する

「わたしのスマホ手帖」

シニアの「説明書を読まない・覚えない」には理由がある!
と気付いた著者:わけ美(ヘルプデスク歴15年)が、親からのスマホSOS電話を減らすために作った、圧倒的シニア目線の虎の巻
親世代を「自分で出来た」へ導きます。

大事だからこそ、いい距離で、暖かく、いい関係でいよう。

記事URLをコピーしました